【自己紹介】拗らせ童貞オタクがなぜ生まれ変われたのか?

始めまして!ジョニーと申します。

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僕は大阪在住の20代後半の男性です。
現在は会社を辞め、

マッチングアプリ専門のカメラマンや、
ファッションや恋愛のコンサルタント
として大阪を転々としています。
(怪しいですねw)

現在はブログで恋愛のノウハウを発信したり、
人様に恋愛関連のご助言をさせていただく様な
お仕事までできるようにまでなりました。

撮影や講習でお会いした方や、同業の仲間には
元々モテてきたんちゃうか?」と言われる
こともあります。

ですが、23年もの間拗らせた童貞で男女を
問わず人とまととに目を見て話せないほどの
コミュ障でした。

今回、なぜわざわざ昔の話を引っ張り出し
て来ようと思ったかというと、

過去に虐げられたトラウマが抜けない人
女性関係にコンプレックスを抱えた人
今の自分を変えたくてくすぶっている人

 

 

といった、以前の僕と同じ悩みを持った人へ、
ちょっとでも希望を持って貰えたらな
思ったからです。

この自己紹介を読んでもらえればわかると
思うのですが、僕は最初はド底辺からの
スタートでした。

容姿の悪さや根暗な性格が災いして、
学生時代は小中高一貫していじめられて
きました。

社会人になってもなお、ずーっとウジウジ
していたので上司のパワハラの標的になり
虐げられ続けてきたり…

何かの間違いで彼女がようやくできても、
男として一切見られず尻に敷かれたり…

これまでずっと自己肯定感の欠落した、
男としてはおろか、1人の人間としても
自信が持てない人生でした。

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当然女性関係も無縁で、23歳まで童貞

異性の目を見て話せないし対面したら震えるし、
でもセックスはしてみたい…でもできないし、
ムラムラもするので夜な夜なシコシコって
感じでティッシュに囲まれて生きてましたw

今回声を大にして伝えたいのは、そんな
人生オワタな状態からでも、

自分の好きなタイプの女の子に求められ
続ける人生や、そうなるための技術を人に
伝えられるぐらいにまで成長できるぜ
ってこと。

僕のような残念過ぎた童貞でも、後天的に
正しい恋愛の知識を会得することで、圧倒的
成長
を遂げられることを知ってもらえたら
うれしいです!

…とまぁ、
随分前置きが長くなりました。

それではこれから悲惨な自己紹介を開始
していきますので、最後まで楽しんで
いってくださいね!

小・中学生時代

小中時代はコミュ障な性格や、
デブ・天パ・肌荒れなどの容姿が
原因でいじめられていました。

特に中学生時代は人に避けられまくり
理不尽な暴力・罵詈雑言を浴びせられ
ていました。

「目が合った」「顔がふてぶてしい」
というだけの理由で、DQNの集団に土下座を
強要され、そのまま頭を踏みつけられ、
リンチに遭い泣かされていましたね…。

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DQNの親が家に謝りに来るぐらいの騒ぎも
ちょくちょくあり、ほとぼりが冷めればまた
以前のようにシメられる生活に逆戻り。

学校に行くと上履きや教科書がないとか
日常茶飯事でしたが、特にキツかったのが、

所属していた美術部で作った作品を
隠されたり、目の前で破かれたりしたこと

もちろん死にたくなって退部し、
それから作品を作ることは生涯なくなりました。

そして学校に行くのが嫌過ぎて、
メシの味はしないし動機もするし
寝れないしで、とうとうストレスでハゲはじめました

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明らかにおでこがM字型に後退しているのに
気付いたときは冷や汗が止まらずワキが
ビチャビチャになりました…。

 

しかも、当時はひどい天パを隠すため、野球部
でもないのに丸坊主にしていたせいでハゲが
目立ちまくりだったという。笑

 

慌てて髪を伸ばし始めましたw

 

遺影に残る先祖の写真を見て諦めは
つきましたが、あまりにも早すぎたので
絶望でしかなかったですね。。

現在も頑張って隠していますが、この時期に
進行したM字ハゲが原因でマンバンヘアー
とかが一生できない頭髪になってしまいました。

更に、慢性的な鼻炎・副鼻腔炎も患っていて、
年中鼻詰まりで声が全く通らず、滑舌も
終わっていました。

声を張り上げてもモゴモゴ何を喋っているか
分かってもらえず、常に会話するのが
しんどい状態で生きてきました。

 

人に発言しても聞き返されることが幼少期から
多く、大人になってもなお対話不安に陥っていました。

 

 

結果、内向的な性格に育ち、いかなる状況でも
主体的に自分を出すことはなくなっていきました

 

 

鼻詰まりなら病院に行ったらええやん
って話ですが、調べてもらったところ鼻腔内の
軟骨が湾曲していて、鼻の奥が完全に封鎖
されている状態。

アレルギーの症状も相まって、鼻は常に
大洪水
。(食事などでだいぶ改善されましたが、、)

そんな感じだったので潜在意識にはずっと、
俺は発言してはいけないんだ」とか、
どうせ俺の話なんて誰も聞いてない
といったマインドが抜けず、治すのが
しんど過ぎましたね…。

高校時代

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高校に入学してからはコミュ障な性格や
いじめられていた恐怖心から心を開けず、
半年間友達ができなくて孤立していました

また、進学後もいじめは続き、教科書を
隠されたり、海外の犯罪者のあだ名を
付けられたりしていました

顔を携帯電話で撮影され、クラス中に
こいつキモくね?w」と写メが拡散されて
晒し者に。

もはや、存在しているだけで笑い者だし
避けられていました。

当然、休み時間は逃げるように校舎裏を
うろつくようになりました…。

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高校に入ったら心機一転。彼女とかつくって、
学園モノのアニメのような青春が送るんや…!

とか思っていた時期もありましたが、無事死亡。

「弱者は淘汰されるのは当たり前だし仕方ない」
と割り切ることしかできず、結局空白の3年間を
消化するだけの每日を過ごしていました。

しかし、今でも思い出せるほど、脳みそに
電撃が走るような出来事が起こりました。

高3のとき、人生で初めて好きな女の子が
出来た
のです。

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週に一回の選択式の授業で、隣の席に
なる女の子だったのですが、きっかけは
見た目が可愛い」という理由だけの
ただの一目惚れでした。

しかし話しかける勇気が1ミリもなく、
だからといって好きな感情を抑えられません。

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ブログにその子と付き合ったことを妄想して
書いた小説や、ポエムを書いて公開しまくる
奇行に全力疾走
していました。

(キモ過ぎて草も生えない…笑)

 

それを見た当時の数少ないオタクの友人も
ドン引きです。

本気で気持ち悪いでお前
ストーカーみたいなことすんなよw

と指摘されるならまだ良い方で、中には
黙って離れていった友人もいたぐらいでした。

また、人生で恋愛感情を覚えたのがこのときが
初めてだったので、アプローチのやり方が
一切分からず
頭を抱えていました。

卒業が近づいて来ているのもあって、焦りに
焦った僕はもうダメ元で告白してみることに
したのです。

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”男女が出会い、どのように付き合うのか。”

 

 

そんなプロセスを認知する機会や発想が、
僕の人生からは完全に抜け落ちていました。

異性と関わった経験もなさすぎたので、
告白は「一か八かの運ゲー」でやるものだと
本気で思っていました。

もう一度いいます。
本気で思っていました(迫真)

「男女間で関係性ができてから告白する」

そんな世間一般的な常識すら知らなかった
んです。笑

今思うと、勝手に一目惚れされたロクに
喋ったこともないモサい男に突然呼び出されて
告白されるとかトラウマイベント過ぎる…。

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意を決してアタックしたものの、誰がどう見ても
その姿は不審者にしか写りませんし、しかも
その子には当たり前のように彼氏がいました。

玉砕した日の帰りに一人でサイゼリアに行き
「●にたい…」とかブツブツ言いながら食った
からみチキンの味を今も覚えていますw

もちろん涙の味がしました。

そしてキモいポエムを書き綴ったアメブロも
消し、毎晩泣いているうちに気づけば
高校生活が終わっていました。

そんな悲惨な空白の学生生活を送ってきた
僕でしたが、勉強や運動ができたのかと
いえばこちらも全くもって終わっていました。

 

根本的に努力ができず、
嫌なこと、面倒くさいこと、
肉体的・精神的なものを問わず
しんどいこと全てから逃げ続けてきました。

 

 

テストの成績も、スポーツテストの結果も、
みんながみんな下から数えて早い方。

(リアルタイムで深夜アニメを見るのに
命を賭けていたので、授業中は永遠に寝てましたw)

毎年留年の危機で、卒業式が終わっても
単位が足りず、春休みの最終日まで補講を
受けていました

大学時代〜就職まで

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足切りギリギリでなんとか偏差値30台の
底辺大学に入学した僕。

しかし、結論から言います。

在学中の4年間、彼女どころか女友達も
作れませんでした

その原因は、貴重な大学生活の時間をすべて
オタク活動で溶かしてしまった
からです。

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当時の僕の楽しみは、高校時代から
好きだったアニメを見ることに加え、
バイト代を女性声優のライブイベント
カードゲーム、スマホゲームの課金に
突っ込むことだけでした。

 

俺はアイドル●スターのライブで、
サイリウム(光る棒)を130本折ったぞ!

と、オタク仲間にマウントを取るぐらいしか
誇れるものはありませんでした。笑

一緒に進学した同じ高校出身のオタクの
友達と集まって食堂でバイスシュバルツ
というカードゲームをプレイして、大学が
終わってもカードショップに通い詰めて
いました。

彼女も当然いないので、同人誌や2ちゃんに
投稿されているアニメキャラの二次創作の
エロ小説(SS)で妄想オ●ニーしては死に
たくなっていました。笑

そんな生活を繰り返していた僕ですが、
ある日、事件が起こります。

いつものように大学から帰宅してオ●ニー
をしていると、玄関の方から男女が談笑
する声
が聞こえてきました。

当時高校生だった弟が、彼女を連れて
帰宅した
のです。

僕の隣の部屋が弟の部屋だったのですが、
兄が家にいることに気づいていません。

シコる右手を止めて聞き耳を立てていると、
明らかにイチャイチャしているご様子

自分が絶対手に入れられなかった青春模様が
壁1枚を隔てて繰り広げられている…。

そんな状況を想像すると耐えられない
気持ちになり、気づくと僕は家を飛び出し
河川敷に向かって全力疾走していた…ッ!

ーー大阪のとある河川の堤防。

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地面を叩きながらながら大泣きする
大学生の姿がそこにはあった。

ていうか、僕だった。

ー完ー

その頃、弟だけでなく、高校時代のオタクの
友人にも続々彼女が出来始めました。

身近な人間と自身の恋愛経験のステージを
比較すると、ただただ情けなく、異性への
コンプレックスは日に日に肥大化していきました

街で女の子とすれ違っても、
大学で、同じ学部の女の子を見かけても、
アニメイトでカップルを見かけても、

 

あんな子と付き合えたらなぁ、でも
自分なんか絶対相手にされへんわ…

どうせ俺が話しかけても、100%
拒絶されるに決まってる…

リア充爆発しろ!(死語)」

と、どんな状況であっても
でも」「どうせ」「俺なんか
と言い訳を作って逃げ続け、日に日に
DTを拗らせていきました。

居心地のいい空間であるはずの女性声優の
イベント会場や、カードゲームの専門店に
逃げ込んでも、

共通の趣味を楽しむカップルの姿は
必ず目に入ります。

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リア充を視界に入れたくない

絶対に手に入らないものを見せつけ
られる感覚が、とても辛かったのを覚えています。

最後には同じ理由で、近所のスーパーに
行くのも嫌になっていました、、

だからといって、もっと魅力的な男になろう
とか、何らかのコミュニティに属そうとか。
そんな発想も一切なく、行動しない自分に
言い訳したり、自己嫌悪に陥ったり、
だけどリア充への嫉妬も止まらない。

日に日に、しょうもないプライドばかり
凝り固まっていきました。

そんな中、惰性で勤め続けたバイト先の
コンビニでは唯一居心地の良さを感じていました。

なぜなら、パートのおばちゃんやおじさんに
囲まれていたからです。

同年代の男女もいないので、リア充とも
距離を置け、なにより最低限の事をやって
いたら怒られないヌルい環境でひたすら
堕落していました。

仕事してるフリしてバックヤードに籠もって
ソシャゲを回す
每日です。

嫌なことから逃げまくる癖が、日に日に
染み付いていきました。

女性コンプを拗らせるだけなら良かったの
ですが、女性関係のみならず就職活動からも
逃げ続ける始末。

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4回生の後半になり、年が明けても
エントリーシートの書き方すら知ろうとせず、
好きな声優を追いかけ回したり、内定済の
暇なオタクの友人たちとカードゲームを
プレイして現実逃避を繰り返す毎日です。

そんなこんなで卒業2ヶ月前になり、
とうとう両親にまともに就活をしてない
ことがバレ、夜中まで詰められた
結果、
大慌てで翌日から開始しました。笑

とはいえ自信は一切なく、
こんな自分を雇ってくれる会社が
あるわけがない
」と恋愛同様ネガティブな
思い込みが抜けません。

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また、新卒採用も終盤となる時期だったので、
まともな求人は全て閉じ切っていました。

 

 

そんな状況も相まって、
もうとりあえず就職できたら何でもいいや。
怒られたくないし
」の一心で、募集のあった
鉄工所に適当に応募。

人手不足だったのか、内定自体は
すぐもらえホッとしました。

恋愛も就職も全部逃げ続けて、俺の青春は
何だったんだ
」と、内心のもっと早く動いて
いればよかったという後悔の念が止まりませんでした。

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単位も留年ギリギリなところ何とか卒業
できましたが、結局学生時代は一人も彼女が
できることがないまま幕を下ろしました。

そして新社会人になった僕。

勤務地は町工場で、配属先は
現場作業員でした。

初日で感じたことは「逃げたい」の一心のみ。

拘束時間の長さ、慣れない肉体労働、
体育会系の風土…。

全てにアレルギー反応が止まりません。

勤務初日を終え、帰宅後即父親に
「辞めたい」と相談するぐらいでした。

(当然却下されるんですがね。笑)

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何も考えず適当に就職先を鉄工所に決めたので
当然やりたい仕事なはずもなく、毎日死んだ魚
の目をしながら言われた通りに鉄の塊を
削っていました。

 

 

 

直属の上司は工場長で、事あるごとに
キレられたり、先輩たちに目をつけ
られては嫌味を言われていました。

高卒の先輩、上司しかいない現場だったので、

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大卒のくせにホンマ使えへんなお前
なに勉強してきてん
一回教えたのに出来ひんとか頭おかしいぞ

と、毎日怒鳴り散らかされていました。

もちろん、僕自身にも原因があることもあり
ましたが、理不尽に詰められない日はなく
精神的に疲弊し消耗する毎日。

仕事中に嘔吐したことも何度もありました。

また、業務内容自体もキツく、納期が近い時は
日付を回るまで残業させられる日もありました。

昨年度には「過労死で亡くなった従業員もいた
という噂も耳に入ってくるレベルの、絵に書いた
ブラック環境でした。

そんな背景もあり、プライベートの時間は
全て体力の回復に回していて、恋愛どころでは
ありませんでした。

彼女ができても地獄は続く

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仕事にも多少慣れてきて、休日に遊びに
出かけられるぐらいになってきた頃、週末は
アニメのオフ会に行くのが楽しみになっていました。

そして丁度この頃、奇跡が起きました。

ジョニー22歳、人生で初めて彼女ができたのです。

「ラ●ライブ」というアニメのオフ会で知り
合ったオタクの女の子でした。アニメ関連の
話で通じ合って仲良くなり、最後には勇気を
出して好きと伝え、交際に至れたのです。

あの時の高揚感は忘れられません。

人によっては「たかが付き合っただけでしょ」と
感じるかもしれませんが、今まで拗らせてきた
非リア充のコンプレックスから解放されたのが
嬉し過ぎて、それはもうハピネスでした。

その興奮は相当なもので、それは色褪せた
景色が鮮やかさを取り戻していく感覚
で、
震えるほどでした。

仕事は毎日クソしんどいけど、彼女のため
なら毎日頑張れる
」と、いつも全能感に包まれ
仕事中、以前とは比べ物にならない位イキイキ
するようになりました。

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週末はデートしてア●メイトに行ったり、
夢だった彼女とUSJでのデートも達成できた。

更に、ブラックな仕事環境からも脱出し、
なんとなく憧れのあったオフィスワーカー
として転職することもできたのです。

彼女のことも好きでたまらなかったし、
当時は毎日が本気で幸せ過ぎましたね。

しかし、そんな生活が始まってすぐに様々な
問題も同時に発生するようになります。

僕自身、初彼女ということもあり、世間の男
たちが当然のように行っている彼女への
愛情表現や、女心が全くわからなかったのです。

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長年オタクとして生きてきた僕は食べ方が
汚かったり、ファッションが絶望的に
終わっていたり
など。

とにかく一般常識とのギャップが
大き過ぎた

なので、

「普通の彼氏なら普通に分かってることを、
何であんたは普通にできないん?」

と、事あるごとに泣かれたりキレられたり
していました。

とうとう、女性と関わる事から逃げ続けて
きたツケが回ってきたというわけです。

普通って一体何やねん。やったら他の男
と付き合えよ…

なんて事は嫌われるのが怖くて絶対に
言えません。

自分の悪いところを素直に改善しようとせず、
突っぱねたくなってしまう姿勢も情けない
と今になってめちゃ思います。笑

流石にこのままでは別れてしまうということで
悪いところを直そうと必死になりますが、
そもそも相談できるモテる友達もいなかった
ので、解決の糸口が全く見えません。

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彼女を怒らせては、「ごめんなさい」と
思考停止で平謝りしたり、その場凌ぎで
百貨店でcoachのバッグとか買って渡したり
してました

(もちろんいらん!と突っぱねられていましたがw)

なんとか現状維持を繰り返しているうちに、
やがて尻に敷かれるようになり、気付けば
一切男として見られなくなっていました。

なので、付き合って1年もの間セックスすら
させてもらえませんでした。

そんな背景から童貞を卒業できたのは
付き合ってから1年近く経った頃。

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そもそも、持ち込み方がかわからなかったことも
あって、僕が23歳の誕生日に懇願し
しゃーなし」でやらせてもらえたのでした。

当然、腰の振り方も分からなくて最後までできず
ムードもくそもないままお互いに萎えたのは
言うまでもありません。

童貞を卒業した喜びもありましたが、
それよりもセ●クスを神格化し過ぎていたので、

セ●クスって思ってたより全然気持ち
良くない…

てかこれ、同人誌でシコってる方が気持ち
よくね?

とか思っていました。(クソ野郎ですねw)

そんな彼女との関係も、

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「やっぱり男として見れへん」
「今後も一緒に居続けるとか無理」

と愛想を尽かされ、振られる形で交際を
終えました…。

撃沈!って感じですが、今思うと、
極めて合理的な理由で振られたと思います。笑

何も言い返せず、

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「ちゃんと治すからぁ…ごめんなさいぃ!」

と言って跪き、泣き喚いていた僕の姿は
女々しく、ダサく映ったに違いありません。笑

そういうとこホンマ嫌い」と、蔑んだ目で
言われ、その場を立ち去られました。

本気で死にたいとすら思いましたね。。

▼当時の実際のLINE。笑

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その日以降は、彼女ロスで毎日家で泣き
散らかしていました。

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朝も昼も夜も、酷いときは会社のトイレや
オフィスのPCの前ですらすすり泣き出す始末。

仕事に全く身が入りません。

家に帰ると、お酒をひたすら飲んで
気を紛らわしていました。

ビール、ストロングチューハイ
日本酒、ワイン、焼酎、ウイスキー
などなど…

実家に置いてあった目についたお酒という
お酒を、ひたすら飲みまくっては吐いて
現実逃避を繰り返していたという…。

(この頃のお酒の暴飲がきっかけで、
今もアル中の症状が残ってたりしてますw

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もう戻らない楽しかった頃の写真やメッセージ
を眺めて落ち込んだり、元カノのSNSを
ひたすらストーキングしてました。笑

思考のベースがとんでもない非モテなので、
元カノ以外に付き合ってくれる人なんて
この世に存在しない
」というマインドが
染み付いていたと思うし、それはもう
孤独感がエグかったのを覚えてます。

酷いときは眠れず失恋ソングを垂れ流し、
朝まで咽び泣き続ける
日もありました。

ストレスと睡眠不足を溜め込み、クマと
ニキビを顔にガッツリ作って、二日酔いで
出勤する毎日。

顔赤いし、酒臭いで。お前何時まで
飲んでたんや?

と上司に詰められては、謝っていました。

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それならまだいい方で、深酒の末寝過ごし、
無断欠勤する日もちょこちょこ出てきたり、
挙句の果てには勤務中に老夫婦の運転する
軽自動車に突っ込んで交通事故まで起こす
始末。

 

 

常にダルそうで眠そうな勤務態度から、
転職した会社でようやく生まれてきていた
信頼も一瞬にして失っていきました。

真面目によくクビにならなかったな
とも思います。笑

メンタルの弱さと、元カノとお酒への依存から
仕事もプライベートもボロボロに。

モテとか以前に、そもそも何の為に
生きているかわからなくなっていました。

人生を変える出会い

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流石に仕事をクビになる事だけは避けた
かったので、お酒に逃げる頻度を減らし、
仕事に打ち込むよう少しずつ生活習慣を
見直してくことを決意しました。

時間の経過もあって、ようやく元カノの
事も吹っ切り、忘れることができました。

しかし、だからといってモテないことには
何も変わりはなく、生活も会社と家の往復のみ

「このまま仕事に忙殺されて、独り身のまま
●んでいくのかな…」

「もっと青春したかったし、もっと女の子と
遊んでみたい人生やったな…」

と、対女性への未練はタラタラなまま。

いっそのこと死んだほうが傷つかずに済んだり、
楽になれるんじゃないか
とすら思いました。

そして、この孤独と不安は誰にも話せませんでした。

そんなある日、モテる方法を知りた過ぎて
ネットサーフィンをしていたところ、
とある人物のメディアに出会います。

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それが「シャーマンナ●パブログ」でした。

▼シャーマンとは?

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シャーマン

海での「テントS●X」を開発したり、「ナ●パ講習」を一般化して数多くの恋愛強者・凄腕ナ●パ講師を輩出。
9000人級のフォロワーを抱えながらも、現在は恋愛事業を引退し、億万長者に超絶進化した伝説のナ●パ師。

いやいや、ナ●パとかチャラ男とか陽キャの
人がやることやろ…

根暗陰キャの自分には関係のない世界や…

そう思いましたが、他にやることもなかった
ので読み進めました。

そのブログには、

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「海でナンパしてテントでS●X!」
「高級キャバ嬢をお持ち帰り!」
「芸能人の美女を抱きました!」

 

と、AVとしか思えない意味不明な情報が
発信されていて、脳みそに電流が走り回り、
あり得ない程の衝撃を受けました。

ですが、それと同じぐらい
胡散臭い」「怪しい」といった
疑いの目があった事も言うまでもなく。

ただ、記事を読み進めていくとその
インパクトのあるエピソードとは裏腹に
意外と論理的でまともなこともたくさん
書かれていました。

デートを何度も重ねてようやく付き合い、
1年近く経ってようやく抱かせてもらえる

 

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そんな価値観が当然だった当時の僕は気づくと
シャーマンの発信に魅了され、気づくと
ファンになっていました。

「俺もこんな風に自由自在に可愛い子と
セ●クスようになりたい…!」

「というか、初めて会った子をお持ち帰りするて
どういうことやねん?んなことあり得んの?」

毎日触れているうちに、彼の熱量が高くて面白い
恋愛についての発信に心を奪われ、好奇心と
憧れから挑戦の意欲も湧いてきました。

それからは、以前では考えもしなかった行動も
起こすようになり、

・ファッションを死ぬ程勉強する
・一人で出会いの場に足を運んでみる
・震えながら街での声掛けに挑戦

と、手当り次第モテるようになるために闇雲に
努力を始めましたが、傷つく結果ばかりでした。

服装を変えてみても、
なにその服!ガンギマリで草www」と
オタク仲間にバカにされたり…

街や出会いの場に足を運んでもまともに女性に
話し掛けることができず、お酒だけ飲んで帰る
みたいな謎の行動を繰り返していました。

 

いやいやまじでどうやったらモテるように
なるねん…!

そんな疑問や悩みは大きくなるばかりで、
早々に頭打ちになりました。

「最強にモテる人に会って、モテってなんなのかを
教えてもらいたい」
という思いは日に日に高まって
いきましたし、なにより自分一人だけで成果を出す
のはどう足掻いても無理
だと肌感覚でも気付いて
いたようにも思います。

完全に積んだと頭を抱えていたそんなある日、
シャーマンが東京で「ナ●パセミナー」を
開催すると、SNSでつぶやいているのを
が流れてきました。

憧れの男に会えるチャンスが到来したのです。

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これは行くしかない!」と、気づけば
勢いで受講申込みのDMを送り、新幹線の
切符を買っていました。

ところが、受講を決めたのは良いものの
不安はやはり出てきます。

「怖い人だったらどうしよう…」
「詐欺だったらどうしよう…」
「俺なんかが行っても大丈夫なのかな…」
「こんな非モテの俺が変われるのかな…」

色々考えれば考えるほど、恐怖心がこみ上げてくる。

でも、モテない自分を変えるにはこれしか無い、、

そう言い聞かせ、忘れもしない、新宿のとある
雑居ビルの会議室に入室しました。

そこには自分が憧れた男シャーマンの姿があり、
入室後気さくに挨拶されました。

…が、初めて恋愛を生業にしている
凄腕ナ●パ講師の姿を目の当たりにし、
恐れ慄きました。

彼の姿は今まで生きてきて関わったことがない
人種の風貌をしており、それはもう覇気全開の
只者じゃない感に満ちた男だったのです。

ヤ●ザ?それとも
半●レ…?
ガクガク

イカついし怪しいし
怖すぎる…!
ブルブル

これから数時間どんな顔してればええんや
とビクビクしていましたが、着席まもなく
セミナーが始まりました。

すると、そんな彼の恐ろしい第一印象は
一瞬で覆りました。

実際に彼の講義が始まると、、

 

 

 

「そんなことが起こり得るの!?」
「知らなかったどころの騒ぎじゃない!」
「しかも話が面白すぎる!笑笑」
「マジで何者なんやこの人!!」

 

と、理路整然とした授業が展開され、気付けば
一瞬で惹き込まれている自分がいました。

 

 

 

 

それはもう、これまで信じてきた恋愛の常識が
全部ひっくり返ってしまうほどの新事実の
集中豪雨
のような時間だった。

そのうえで彼の持つカリスマ性にも圧倒
され、目を輝かせながら誰よりもノートをとり、
質問している僕の姿がありました。笑

 

 

ヤバい、やっぱ本物やこの人…。)

(彼に着いていったら間違いない…!

そんな確信が肌感覚ではありますが、あった
ような気がしています。

セミナー終了後、僕は、個別で彼に会いに
行きました。そこで、

「過去に抑圧され辛かったこと」
「このままモテずに死にたくないこと」
「終わってる自分を本気で変えたいこと」

自身のモテずに苦しんだバックグラウンドを
包み隠さず伝えると、彼は驚くほど親身に
なって話を聞いてくれました。

(見た目が怖い人だったので、ギャップが
すごかったですね。笑)

自分の思いを最大限汲み取ってもらった末に、
なんと最終的に弟子入りのオファーを受け、
恋愛を一から教えてもらうことになったのです。

東京の高級ホテルのラウンジで震えながら
師匠と握手し、僕の修行が始まりました。

全くモテず、嫌なことから逃げ続けてきた
過去の自分を殺す決意をしたのです。

修行して見えたあり得ない世界

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いざ講習が始まると、あまりのキツさに
僕は毎日白目を剥いていました。

シャーマンの指導はスパルタであることで有名
だったらしく、当時に受講していたコンサル生の
三分の一は卒業できずリタイヤしていくほど。

僕は本来より持っていたサボり癖もあって、
仕事終わりは疲れて何も出来ない日も多く
メチャクチャケツを叩かれました。

そんな環境で、每日自分の価値観を根本から
破壊する恋愛の本質を叩き込まれ続けました
一緒に指導を受けていた仲間も経営者の人や、
エリートサラリーマンの人もたくさんいて、
自信を失う事も多かったですね…。

でもここで逃げて、また今までのような
地獄の非モテ人生に逆戻りすること
考えたら、もっと嫌でした。

歯を食いしばって負荷に耐え続け、
3ヶ月の修行をやり遂げて卒業すること
ができました。

そんな修行を経て最終的には…

夜中にクラブに1人で突撃して、Gカップの夜職
のくそエロいギャル
をお持ち帰りしたり…

マッチングアプリで知り合った
乃木坂系の可愛い巨乳JK、ファッションショー
のランウェイを歩くモデルのJD、反社と
付き合っていた女優の美女
を抱いたり…

北新地の高級キャバクラにフリー入店して、
20分の口説きで後日キャバ嬢と店外で遊んだり
(この子は実力不足で抱くことは出来ませんでしたが…)

そして、

 

 

全国ミスコンで入賞歴のある
現役アイドルの女の子
をお持ち帰りすることができたのです。

(アイドルと言っても無名の地下ドルとか
でなくメジャーでオリコンランキングにも
顔を出す
グループの子でした。)

長らくモテず、声優やアイドルを追いかけ回す
オタク人生を生きてきましたが、この時は
流石に本気で報われた気持ちになり、
全身の重りが外れたような安堵感を
覚えました。生きてて良かったなと…!

このように死ぬほど自己投資と行動
ブッ放したお陰で、気づけば以前の
拗らせ非モテだった自分と比べると、

想像もつかない世界
が見えていました。

画像32

それこそマッチングアプリを使えば、
月10人は余裕で即日で女の子とセ●クス
できるように進化。

異性へのコンプレックスから
無事に
開放されました。

先日も、20歳の女子大生の女の子を宿泊して
いたビジネスホテルに呼び出し、朝まで
セ●クスしていました。

その日は、雷が鳴り響くほど、めちゃくちゃ
雨が降っていました。

夜になり仕事が一段落したので、軽く飲みに
出かけたい気分でしたが、天候も天候なので
面倒になっていたのです。

気づくとマッチングアプリを開いていたの
ですが、ふとある女の子が目に止まったのです

その子はぱっと見の印象で、既にタイプだと
感じましたし、写真からもスタイルもスラッと
したモデル体型である事が分かりました。

更に激烈にショートカットが似合っていた
のです。

即刻いいねを送ると、すぐにマッチング
しました。

※マッチングアプリに載せる写真の選び方や
プロフ文の作り方も熟知しているので、
今や女の子は選びたい放題の状態です。

メッセージを数ラリーし、連絡先を交換して
すぐに電話しようという流れに。

やはり、客観的事実として、可愛い子
ほど話が早い傾向が
あります。

 

 

話を聞いてみると、彼女は友達と飲みに来た
は良いものの、そこで友達が酔いつぶれて
しまいタクシーで見送って、一人で途方に
暮れていました
。タクシーで帰るにしても
家がかなり遠方だったり、そもそも遊び足り
なかった
のでマッチングアプリで今から
会える人を探していたというのです。

だからといって会えれば誰でも良かったと
いうわけではなかった模様。

後から聞いた話だと、僕のプロフィールの
写真がイケてた
とか、送ったメッセージも
他の男とは違って楽しそうな人だと感じ

気になってくれたようでした。

電話では、修行で培った口説きを駆使し、
女の子を直接ホテルに呼び出すことに成功
しました。

タクシーでホテルに到着した彼女は、雨で
髪も服も濡れていたのでシャワーを浴びさせ
ベッドで待機していた僕は、バスタオルで
身を包んだ女の子を手招きします。

そのままベッドインし、私服の時間を
楽しみました

スレンダーで、くびれの綺麗な若い身体を堪能した後
気を利かせて女の子がお酒を買ってきてくれていた
ので、ソファで缶ビールとチューハイで乾杯し、
くだらない話で談笑したり、悩みをウンウンと
聞いていました。

お酒が回ってくると、両者ともにムラムラ
してきたので、もう一度二人でベッドに
飛び込み、やりたい放題朝までお互いを
求めあいました。

……と、こんなけしからんとしか思えんような
夜を、しかも0円で過ごせる日がくるとは。

過去の自分からはマジで
考えられなかったです。

現在は、こんな風に女の子と好き放題に遊んだり
マッチングアプリの写真撮影を始めて会社を
辞めて独立したり
、恋愛を教える立場に
なるまで進化することができました。

今までの人生で何も努力が続かず、凝り
固まったプライドやコンプレックスに抑圧
されてきた僕が、

絶対に攻略できないと思っていた
「恋愛」の分野で結果を出せた。

今まで普通にモテてきた人や、もうナ●パで
成果を出している人からすると、こんな体験を
してもそこまで幸福感を覚えることはあまり
ないかもしれません。

ですが、

とんでもない拗らせ非モテでも正しい知識を
学び、行動することで短期間でガラリと
人生を変えることができる。

救いようのないほど非モテだった男が、
モテる男に成長することは本当に夢しかない
と思います。


そんな思いから、ブログでの発信や、
マッチングアプリの写真撮影サービスを
開始
しました。

僕の学んだ知識経験、実際に撮影した写真を
使ってもらい、同じ景色を見てくれる人が
一人でも増えたら、それはもう最高でしかない。

と、本気でそう思っています。

また、非モテを拗らせることで起こる問題は
人生を生きる上で支障が大きすぎることも
実体験をもって理解しています。

僕自身、過去に生死を考えるほどの深刻な
精神状態に陥ったことがありましたし、
自分の頭で考えて暗中模索しても人生が
好転する気配はゼロでした。

その辛い気持ちや、自分を変えたくても
どうしていいかわからないもどかしさ
分かり過ぎてしんどくなるぐらいです。

・身体のコンプレックス
・過去に受けた抑圧
・失恋と離別
・家と職場を往復するだけの毎日
・自身の怠惰や逃げ癖
・家庭環境

などなど…

いずれの要因であれ、過去の僕のように
女の子に拒絶されたり、自分を肯定できず
に苦しんでいる人は少なくないと思う

その状態を放置し、現状維持を続けるような
生活を続けていても良いかもしれないですが
やっぱり死ぬまでそのままだと、当の本人も
おもんないと感じるだろうし、欲求不満な
ままやと思う
のです。

どんなに仕事にやりがい感じてたり、休みの
日に出かける用事があってもコンプレックス
が足枷になって、楽しめるものも楽しめなく
なったりとかですね。

そいで、また拗らせてしまう。

この負のループに僕は陥ってましたが
生きづらいなんてもんじゃなかった。

実際にその辛さを体感したし、事実として
抜け出せたからこそ、そんな過去の僕の
ような人が1人でも減れらせたらなと
心から思っています。

そしたら、

もっとオモロい仲間との出会い
も増えるだろうし、

恋愛も社会情勢も沈んでる昨今の
世の中の未来も明るなるはず!


という思いで、みんなの役に立てるような
発信を日々行っています。

なので、各コンテンツを通じて何か一つでも
あなたの悩みを解消できたらめちゃんこ
嬉しいです!!

長々と語り散らかしてしまいましたが、
僕の自己紹は以上になります。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

今後実際に僕に会ってみたいとか、昔の僕の
ように苦しんでいる人がいれば、大阪で
マッチングアプリのプロフィール撮影を
やっているので、一人で悩まず是非一度、
遊びに来てくださいね。

↑↑ 撮影の詳細はこちらです!

※表示されていない場合は[コチラ]をクリックしてください。

最後までご覧頂き、ありがとうございました!

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